ひまわり。一番好きな花なんですけどね。そんな花の名前を暫定的に借りて、「秋田大学衛星製作物語〜教官苦労話〜」の続編のタイトルとしておりましたが。
この度、「有人宇宙港をめぐる冒険」とタイトルを改めました。タイトルの意味は、またおいおい。
これからもよろしく御願いします。
=====本家も更新していないなぁ・・・(^_^;=====
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世の中で何かを「教える」というのは、「概念装置」をその人の中に構築することだと、これはもう高校生の時代から思っている。ホント?と思われるかもしれないが、本当である。なぜなら、高校時代に強烈な原体験があるからだ。
中高一貫教育を受けていた僕は、中3・高一のころはそりゃもう・・・遊びまくった(笑) 全然勉強せず。成績も250人中220番とか、まぁそのぐらいだった。その後、卒業時には120番だったか80番ぐらいに上がるのだが、そのきっかけとなったのは、駿台で受けた高見先生の物理の授業の最初の1時間。「物理なんて、ホントは簡単なんだよ。その考え方を理解できるかどうかだけだ。」ホント、その一言だけ。それでわかったし、変わった。
高一の終わりに、大学の二次試験を真似た実践模試が始めて有るのだけど、それを受ける前に高校の物理の先生に、「今回の模試、物理は全国10位以内に入りますから」と宣言。生徒をばかになんてしない良い先生だったけど、さすがに「何いってんだこいつ?」というような、表情を読まれないように困ったよう顔をしていたのを今でも鮮明に覚えている。ま、そりゃそだよね。それまで成績全然だったんだから。
で、ふたを開けると・・・。ホントに全国で7番だったんだな、これが。職員室は大変で、中1の頃の担任にわざわざ呼ばれて、「大騒ぎだぞ」と言われたぐらいの状況だったらしい。でも、僕には不思議でも何でもなかった。何故か?
あのわずかな時間だったけど、高見先生は僕の中に、「物理的概念装置」の回路を組み込むことに成功したのだ。実はこれを教えることはとても困難で、普通はいくつもいくつも問題を解かせることによって、「ははーん、こういう風に振る舞ったり考えたりするのが良いんだ」と学んでいくしかないわけだ。しかし一旦、その物理的概念装置が組み込まれたら、別に個別の問題を学ばなくても、その場で解けるようになる。これが教育だと僕は思った。
最近、とある学生と話していたときに、「だから○○という規制をすれば良いんですよ」というようなことを言われた事がある。学生を教育するには、○○をするべきだとさせたり、○○しちゃいけないと禁じたり、そーやって行くべきだ、と。でも、これだと「プログラム」を書いているに過ぎない。この「プログラム」書きが行き着く先は、「言われてないからやらない」「怒られなかったからやった」というような自主・自律とはほど遠い結果になると、僕は思っている。
なにをやるべきか、何をやっちゃいけないか。そんなことは、自ずとわかるべきなのだ。それを実現するのは規制や行動指針といったプログラムではない。もしプログラムでそれを実現しようとすると、それはいったい、何万行必要なんだろう?何百万行?しかし、精神が理解できていれば、、すなわち概念装置だね。これが入っていれば、一言ですむ話しである。
じゃ、その精神はどうやってインプットできるか??・・・残念ながら高見先生のような卓越した教育センスを持っていない僕としては、じっくり根気よく、教えていくしかないんだよね(^_^;
ただし、教えるのは「判断した結果」じゃなくて、それに至る過程でどう考えるのか、考えたのか、そういう話しなんだけど。このあたり、伝えるのは結構大変なのだ。
有人宇宙港を巡る話しが皆無じゃないか、という話しは置いておいて。(^_^;
最近やっているのは「学生による自主的なプロジェクト活動を通じた工学教育」、です。ま、工学じゃなくても良いのですが。これにはどんな意味があるのか?
和歌山大にはWSP(和歌山大学宇宙開発プロジェクト)の他に、ソーラーカーチームがあります。WSPのメンバーの一部は、元々ソーラーカーのチームのメンバーであったことや、現在のソーラーカーチームのリーダーが、WSPに入っていたこともあり、わりかし仲良くやっています。僕自身はソーラーカーチームとは全く関係がないんだけど、そんなわけで良く話しをします。最近の話題は、「なんでソーラーカーなの?」ってのが一つのテーマです。
WSPにしろソーラーカーにしろ、いわゆる「大学の研究室における研究・開発」ではありません。にもかかわらず、何故に大学はそれなりの金を投資して、場所も提供し、様々な便宜も図り、人員も割いてこういった活動を応援するのか?それはちゃんと理由があるわけで、伊達や酔狂でやっている訳じゃありません。一言でいえば、こういった活動を通じて、「任せられる人材作り」を行うことが、目的だと言えると思います。もちろんその過程で、大学の名前を売るというのも重要なテーマですが。しかしその意図が学生に伝わっているかというと、伝わっていないことも多々あります。その辺がわかっていない学生だと、まぁとにかくめちゃくちゃになっちゃいます。「自分は好きなことをやりに来ているだけだから、好き放題やります」って、ホントになるからね。そのたびに「そもそも大学が少なからぬ労力・設備・資金を君達に投下している理由は 云々」という説教になるわけですが・・・これが実に不毛なわけで。だって、そんなことを言われなきゃわからない学生というのは、全然「自主」でも「自律」でも無いわけですよ。怒られるから辞める。怒られないからやり続ける。まぁ行儀の悪いガキどもめ、ってな感じになっちゃいます。
もっとも僕はそういった現状に文句を言いたい訳じゃなくて、それをどうやって越えていくのか?を論じたい。それは学生一人一人に、自分のやっていることにストーリーを持たせること、そしてそのストーリーの中での意味を考えさせることだと、僕は思っています。
ソーラーカーにしろ、ロケットにしろ衛星にしろバルーンにしろ、その工学的な先進性や革新性を追い求めるなら、学生の自主チームになんぞ勝ち目はない、と僕は思っています。指導教官によって導かれる研究室が圧倒的に有利です。しかしながら、工学というのは最先端だけではなく、例えば普及という部分にも意味があったりする。ここの部分は研究室が必ずしも有利とはいえません。そういった観点に気がつけば、もっともっといろんなストーリーが画けると思うのです。
他の大学もみんなやってるからソーラーカーをやる。フォーミュラーをやる。ハイブリッドロケットを打ち上げる。缶サットをやる。キューブサットをやる。もちろん、導入としてそれを最初にやるのは良いでしょう。が、それを始めて半年も一年もたっても、ずーっとそれを何故やるのかを考えずに、アプリオリに受け入れてしまって思考が停止している。これはダメです。UNISECがすばらしいと思うのは、去年やったことを何も考えずに今年もやるべきでないと、明言している点です。今年もそれをやるとしたら、それにはきちんとした理由がないと行けない。そしてその理由は、ストーリーを画けるかどうかにかかっているのです。
これが学生活動の意味合いだと、僕は思います。
関係各位の皆様。すみません、デスクトップを別マシーンに入れ替え中に、ノートがあぼーんしてメールも満足に読み書きできない状況でした。2日分ぐらい色々滞っています。ごめんなさい。
関西を離れて10年ぐらいかな?全然気がつかなかったけど、関西のノリって疲れる体になってしまった。いやいや、おまえがそもそも関西ノリツッコミやろうとか言われそうではあるけれども。
とりあえずなんでも笑って終わらそうとする態度が、最近心底嫌だ。いや、これは大人じゃなくてね。学生なんだけど。冗談でなんでもすませられると思ってるんだろうなぁ。
畏れとか、そういう感覚って、どうやったら教えられるんだろう?なんでもかんでも自分と同じレベルにまで引きずり下ろしてその高みを理解できないとすれば、それって良くない文化だ。
ま、一歩一歩だ。とりあえず今の現状は、そう簡単には変わらない。段々と、段々と、変えていかないと。
問題は・・・・その気力が今の僕にあるかだけど(^_^;
Before...
_ akiaki [いやほんと、目が廻りますね。とりあえず今日はまだ、飯を食っていません。。。なのに午後にやった集中講義のテーマが「コン..]
_ ごんざぶろう [自分も40になりました。akiaki先生と同い年とは聞いていましたが、誕生日もすごく近かったのですね。私も負けないよ..]
_ akiaki [お帰りなさい。 海外で、さらに経験を積まれてきたのですね。ご無事の帰国、何よりです。お誕生日、おめでとうございます..]