タイトルを変えました。更新はすごくゆっくりになるかとおもいますが、よろしくおねがいします。
=====本家も更新していないなぁ・・・(^_^;=====
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4回目となる能代宇宙イベントも無事終了しました。今年も200名近くの学生が能代に参集し、理工学者らしく自らの技術とそれを支える知識を十分に発揮し、尊敬と親愛の交換を行いました。また今年は、イベント初年度からの夢であったCAMUIロケットの参加も実現しました。現在日本でロケット打上を行っている団体のロケットは、大阪府立大のコールドロケットを除き、ほぼ全てが能代で打ち上げられたことになります。名実ともに学生の宇宙開発のメッカとして、スタンダードとして、能代イベントが定着しつつあります。今年もわざわざ九州から2回もフェリーを乗り継いできてくれた九大の学生に、”どうしてこんな遠方の能代まで?”と聞いてみました。”能代には日本全国の学生が集まるから、そこで自分達の技術を試し、交流を深めたかった”と答えてくれました。正直、泣きそうでした。蜂に刺されたりクローラキャリアの冷却水タンクの暴発で火傷をしたりしながら、一生懸命草踏みをして、会場整備をしたけれども、本当に良かった、と思える一瞬でした。無駄じゃなかった、と思える瞬間でした。
また今年は、これもイベント初年度からの夢であった、海外からの学生の参加が実現しました。韓国航空大の学生ロケットは、残念なことに今回は日本の空を舞うことは出来ませんでしたが、また来年、日本に来て、能代に来て、日本の学生達と一緒にロケットの打上を実施したいと語ってくれました。秋田大の学生とは散々飲み明かした模様で、秋田大の学生は「韓国の学生って、思ってたよりもずっと普通でした」と言っていたことが印象的でした。また韓国と異なる日本の安全基準に合致させるために、わずかな時間で様々な改良を加えていく彼等の技術力に驚かされていました。韓国の学生も、日本の学生達がシステマティックに実施する、各大学連携によるロケット打上には感動していたようです。ごく普通の隣人として、自分と変わらない夢を持ち生きている友人として、彼等と接することが出来たこと。これは貴重な体験です。
準備から考えると丸5年。この間に能代に集まり、培われた友情は、必ずや今後10年・20年後に日本の宇宙開発を支える、太くて固い人脈として生かされていくことと信じます。また今回を皮切りに始まった海外の学生との交流がこれからますます増えるに従い、日本に留まらない、アジア全域での、世界全体での宇宙開発を支える、太い人脈が構築されていくことでしょう。相互理解と連携。そして真摯な技術競争。我々を照らす光は、一人一人の努力と協力により、だんだんと強まって来つつある、と感じます。
私が能代の地で、このイベントを通じて実現したかったことは、ほぼ全て実現できました。多くの人に助けてもらいました。イベント開催のきっかけとなる最初の人脈造りの場を(期せずして、でしょうが)提供してくれた松浦さん。私のやりたい夢を聞き、実現のために地元人脈を紹介してくれた神谷さん。能代市の中枢に繋いでくれた畠さん。そして「是非能代で、『遠い空の向こうに』を実現してください」と握手をしてくれた豊澤さん。右も左もわからない状態の僕を支えて、公的なイベントとして実現するために御尽力下さった、小野さん、戸松さんをはじめとする能代市役所のみなさん。新しい市長として、継続的に協力いただいた斉藤さん。イベント実現のために必要となる土木作業を一手に引き受けてくださった北林さん。風車事業との調整に御協力下さった多田さん・東北自然エネルギー開発の能代営業所のみなさん。地元の方々との調整、JAXAとの調整にまで御協力いただいた、平川さん・能代多目的実験場のみなさん。学生活動を応援してくれた地元自治会のみなさん。のしろケットちゃんという魅力的なキャラを作り出してくれた山崎さん。「ミステリーサークルを作ろうぜ」という僕に協力してくれて(騙されて?)、初年度にあの広大な湿原に、無謀にも人力で挑んでくれた、村田をはじめとする秋田の僕の友人達。全国の学生に声をかけ、動員し、技術指導を行ってくれた中須賀先生・川島さんををはじめとするUNISECの先生方、学生達。またイベント初年度、まだ自分達の機体作成でにっちもさっちも行かない秋田大の学生達に代わり、イベント全体を取り仕切り、協力してくれた和田君・堤君をはじめとする東海大のみんな。2年目以降はホスト役として、尽力してくれた小林、秋田大の学生達。一人一人の顔が目に浮かびます。あの日の会話が、耳に蘇ります。本当にありがとうございました。一人一人の人達に支えられて、能代のイベントを実現することが出来ました。心から感謝しています。そしてなにより、能代イベントだけでなく、私の語る荒唐無稽な戯れ言を温かく見守り、実現のために教え導き、協力してくれた土岐先生。また学部として、大学として、応援していただいた、吉村学長をはじめとする秋田大の先生方。能都さんをはじめとする事務の方々。心から感謝しています。本当にありがとうございました。
僕の秋田大での仕事は終わりました。名残惜しいけど、とても寂しいけれども、これまでの思い出を胸に、去るべき時が来たようです。やるべき事は全てやった、と言えるのは、とても幸せなことです。そしてそんな幸せな終わり方を迎えることが出来たのは、影に日に、周りの人達の心のこもったサポートがあったからだと、改めて実感しています。ありがとうございました。
10月1日より、和歌山大学に赴任することが決まりました。能代イベントにより、能代での実験サイトの整備により、関東以北の大学に置いては、ロケット打上団体も増えてきました。しかし関東以西においては、まだまだ実験・活動の場の開拓が求められています。また実践的なものづくり・チームワークに基づいた人材育成をさらに全国に広めていくこと。キューブサットや缶サット・ハイブリッドロケットに続く、あらたな教育実践の為のツールと場所を創出すること。海外からの学生を、一過性のイベントに留まらずに受け入れ、共に学び、技術を向上させていくこと。そしていつの日にか、自分の手で宇宙に行ける人達と、宇宙を、月を、火星を目指すこと。それが僕の夢です。次は和歌山大を舞台として、この夢の実現のために一つ一つ進めていきたいと思います。また多くの皆さんの協力を必要とすることになると思います。これまでと変わらぬ御協力をいただけますよう、こころからお願い申し上げます。
秋田大、学生宇宙プロジェクトの諸君。君達と過ごせた時間は、僕にとっては何よりの宝物でした。君達は僕の学生でしたが、同時に僕の師でもありました。共に笑い、泣き、口論し、戦ってきた、戦友であり、同志でした。
今年の能代イベントの片付け。爽快でした。誰も誰かの指示を待ってぼーっと立ちつくしていない。全体を理解し、自ら状況を的確に判断し、機敏に働く君達と共に働けたことは、何にも代え難い快感でした。自分の夢を実現するために、それを自らの問題、自らの責任として実現に向けて尽力する姿を見ることが出来、僕は幸せでした。他人のせいにしても失敗はぬぐい去れず、夢が実現されず悔しい思いをするのは結局自分自身に他ならない。そんなことを君達は僕に、改めて教えてくれました。
僕が秋田大で成し遂げたことがあるとすれば、それは君達が成し遂げたことに他なりません。君達はベストチームです。信頼できる、任せられる、仲間達です。ありがとう。ほんとうにありがとう。しかし永遠は存在しません。チームのメンバーも一人一人、ここを巣立っていく日が来ます。新しいメンバーが入り、チーム全体も変わっていきます。そうした日常の中で、是非今日という日を体験できたことを胸に留め、新しい、光ある未来を進んでください。
村田。秋田を去るにあたり、おまえのことが一番気がかりです。きっと君の魂は、ずっと秋田に居るんだろうね。お母さんと、お父さんの近くに居るんだろうね。それで良いと思う。でも僕としては、君を秋田に置いて去る気がして、それだけが後ろ髪引かれる想いです。
能代のイベントが終わって、誰もいなくなって、何もなくなり、あの熱狂も、歓声も、そんなものが全部去った後の草原。ただ風と風車の音だけを聞きながら、暮れゆく日の中で、月に照らされて過ごすあの贅沢な時間。僕もおまえも、あの一瞬がとても好きだったよね。君は今もきっと、これからもずっと、あの一瞬のなかに留まっているこんだろうね。
能代にはこれからも、毎年、沢山の学生達がやって来ます。見守るなんて大それた事は、もちろん君には期待していないよw いつものようにニコニコして、学生達の傍にいてあげてください。必死な学生、泣いてる学生、達成感で高揚している学生。そんな学生の頬をさっと撫でる優しい風で居てください。僕も疲れたら、また君に会いに戻ってくるから。それまで、またな。
我々の進む未来が、光の中に照らされてあることを。そして光あるうちに、光の中を進めることを。心から祈っています。
何もない僕を迎えてくれて、育ててくれた能代。秋田。ありがとう。僕は沢山の物を手にして、沢山の人と思い出に見送られて、秋田を去ることが出来ます。ありがとうございました。そしてこれからも、よろしく御願いします。また明日、お会いしましょう。それまでお元気で。
さようなら。
現在の日本という国においては、多くの人にとって、当たり前のように明日は来る。その昔、死というものが自分からほど遠い場所にしかなかった平和な子供時代、自分が生まれてくる前の歴史書を読むことで、死がいつも隣り合わせにある時代を、自らの死で仲間の明日を作り出さなければならなかった時代を、父祖が通り抜けてきた事を知った。そして人生も(おそらく)半分を過ぎようとしている今、いくつかの身近な死を体験して、当たり前のように明日が来ない事があることも、実感しつつある。
突然事故で死んだ友人。彼等が何を思って死んでいったのか、もちろん僕にはわからない。しかし中には、自分の余命を知った上で、死を迎えた友人達もいる。彼等が死ぬまでの1年とか2年の間、死ななければならない彼等と、おそらく明日も、明後日も、明明後日ものほほんと生きているであろう自分とを、嫌でも比較させられた。そして比較してもどうしようもない理不尽さ、いや、自然の摂理なのだろうけど、それをまざまざと見せつけられて生きてきた。そして今日もまた生きている。
自らが選択して、あるいは大きなダイスの丁半によって選択されて、生き死にが決められた64年前と違い、今の僕は「残された者の責任として」などとおこがましいことを言えるような立場には全然無い。僕もまた、多くの現代人と同じように、当たり前のように明日を迎える事が出来る人生を送っているのだから。
どんな形で僕の人生が終わるのか、それはわからないけれども、その瞬間に自分が生まれ落ちたことを、生きてきたことを、そして死んだことを、自分自身の満足と出来るような生き方をしたい、そう思う。他人がどうだとかこうだとか、そんなことはおそらく全く関係ない。全てを総覧して、見て、感じて、自分自身がそれに満足できたのか、出来なかったのか。必死で走り続けたのか、走れなかったのか。それだけだと僕は思う。
そしてそんな生き方しか無いということを、学生に伝えるのが僕の仕事だと思うんですけどね。
いやはや。この説教臭さで全てがパーだなぁ。。。。
_ ハナプ [学生とは程遠いですが、とてもいい思い出になっていますよ。 草踏み、使ってるのは板ですか?重機ですか?w 今年..]